テレフォンセックスとは何か、というと、「声」のみを用いて「性的興奮」を高めることというのが、プレイの「一応の定義」です。
ここで、テレフォンセックスという言葉に「セックス」という単語が含まれていることが影響し、やはりテレフォンセックスというものには「性的な会話」が不可欠なのだろうとどうしても自然に考えてしまいそうになります。
しかし、「性的な要素」がないテレフォンセックスというものも、テレフォンセックスという懐の広い多様性に満ちたプレイには含まれるのではないでしょうか。
こんなことを言い出すと、「『テレフォンセックス』から『セックス』の要素を抜いてしまったら、それはもう『テレフォンセックス』ではなくてただの『テレフォン』でしかないではないか!」という憤りの声が投げかけられてしまうかもしれません。
しかし、「ただのテレフォン」という誹りを受けようとも、「セックス」抜きの「テレフォンセックス」というものは成立するだろう、というのが、現段階での私の暫定的な結論です。
なんといっても、テレフォンセックスにおいて重要なのは「声に興奮できるかどうか」だからです。
テレフォンセックス童貞を失った夜
「セックスが抜けているテレフォンセックス」とはどのようなものなのか、という疑問が出てくるのは当然の流れでしょう。
自分にとって「テレフォンセックス」の初体験はいつだったのだろう、という回想に時折ふけることがあります。
そんなとき、脳裏に「初めてのテレフォンセックスの記憶」として蘇るのは、遠距離に住んでいた片想いの好きな女の子と初めて深夜に長電話をしたときの記憶です。
そのときの電話の内容は、他愛もないような、お互いの近況報告に過ぎなかったのですが、受話器越しに聞こえてくる好きな女の子の「声」の質感に鼓膜を震わされることに、えもいわれぬ幸福感を抱いていたのが思い出されます。
性的な会話など一言もかわさなかったはずなのですが、電話をきったあと、私の陰茎はゆるやかな隆起をしており、下着はしっとりと、いや、ビショビショに濡れていたものです。
これは、「セックス抜きのテレフォンセックス」といえるのではないでしょうか。
この知らず知らずのうちに「テレフォンセックス童貞」を失った夜、性的発言抜きで「テレフォンセックス」をしたという「原体験」が、私のツーショットダイヤルにおけるテレフォンセックス観に大きな影響を投げかけていることは確かでしょう。
ツーショットダイヤルで繋がった女性の「声」が非常に自分好みでかわいらしい質感であった場合、自分はあえて「性的な発言」をしない方向でいきます。
「声質」の魅力に耽溺し、日常会話をしながら、女性にバレないようにひっそりと過激に陰茎をしごく。
これも「テレフォンセックス」のひとつのかたちなのではないかと、私は考えています。
このような見地に立つとき、「すべてのツーショットダイヤルがテレフォンセックスである」といってもおそらく過言ではないでしょう。