テレフォンセックス言文一致運動①

テレフォンセックス言文一致運動①

「テレフォンセックス言文一致運動」の可能性について考えていました。

「テレフォンセックス」と「言文一致運動」というものの組み合わせについて考えていく上で、まず最初にアイデアとして出てくるのは「テレフォンセックスに興じる男女の音源をそのままテキスト起こしする」という方法になるのかもしれません。

しかし、この安直な方法によって生み出されるテキストによっては、おそらく「テレフォンセックス言文一致運動」と呼べる運動が始まることはまずないのではないか、と思われます。

「文語体から口語体への移行」を目的としていた、明治時代の本来の「言文一致運動」の見地からしても、そのように思われます。

「テレフォンセックスを言文一致体で書く」ということは「テレフォンセックスのように書く」という意味なのであって、「テレフォンセックスをそのまま書き言葉に変換する作業」とは根本的に違う、ということですね。

ところで、さきほど「文語体から口語体」という話がでましたが、ここで問題が発生するのは、音声によってのみ進行される「テレフォンセックス」においては、はじめから「喋り言葉」だけがあるのであって、そもそも「文語体」という考え方が存在しない、ということです。

となると、「テレフォンセックス言文一致運動」に関する思考は、根幹から揺らぐことになり、無念ではありますが、ここで打ち止め、ということになるでしょう。

しかし、こんなところでくじけるテレフォンセックスプレイヤーの私ではありません。失敗した思考から、テレフォンセックスに関する新たな思考を練り直し、テレフォンセックスの可能性についての探求をしていく使命がある以上、ここで諦めるわけにはいきません。この挫折した地点から再び「テレフォンセックス言文一致運動」の可能性へと戻ってみせる所存であります。

さて、そこで、あらためて考え直しましたところ「テレフォンセックスのように書く」という「テレフォンセックス言文一致運動」について考えるより先に、まずは「テレフォンセックス/セックス一致運動」について考える必要があるように思われてきました。

というのも、「声と言葉のみ」で進行される「テレフォンセックス」と、生身の肉体のぶつかりあいで進行する「セックス」を一致させようとする「テレフォンセックス/セックス一致運動」によって導き出された「テレフォンセックス」の特徴から、「テレフォンセックスのように書く」ということの倒錯やヒントが見いだされ、「テレフォンセックス言文一致運動」という一度は扼殺された思考が再開できるかもしれない、と考えたからです。

「テレフォンセックス/セックス一致運動」と「セックスの再現」について

さっそく、その「テレフォンセックス/セックス一致運動」について書いていきましょう。

「セックス」というのは「言葉」がなくても成立する性行為です。

それに対して、「テレフォンセックス」というのは「セックス」というものを「言葉」でもって語り直す(と、多くの人に前提として考えられており、あまり疑われたことがない)性行為であるわけです。

つまり、この「セックスの再現」を目的にしてプレイされる「テレフォンセックス」における「言葉」は、「セックスのようにしゃべられた言葉」であると、ひとまずいえるでしょう。

「テレフォンセックス/セックス一致運動」というのは、「セックスのようにしゃべるテレフォンセックス」の、この「セックスのように」という側面を重視し、「テレフォンセックス」と「セックス」の間の溝を埋めていこうとする営みということになるのであって、「テレフォンセックス/セックス一致運動」における「テレフォンセックス」で使われる言葉は、最終的に「セックス」を目指すものになってしまいます。

しかし、そのような涙ぐましい「テレフォンセックス/セックス一致運動」による「テレフォンセックス」をいくら行ったところで、「テレフォンセックス」と「セックス」が完全に一致するということは決して起こりませんし、「セックス」が「テレフォンセックス」によって「再現」される、ということはまずありえません。

「テレフォンセックス」が「セックス」の代替物でしかない、という扱いを受けてしまうのも、この「セックスの再現」を目指す「テレフォンセックス」の、その「テレフォンセックス」としての未熟さや欺瞞、スタート地点の誤りが原因としてあるように思われます。

「テレフォンセックス」は、「セックス」とはまったく違う快楽を目指している、ということが「セックスの再現」という不可能な目的の前でくらまされているのです。

「テレフォンセックス/セックス一致運動」によって「セックスの再現」をしようとする現在の「テレフォンセックス」を続けている限り、「テレフォンセックス」は、その快楽の可能性が閉ざされたままになってしまうでしょう。

では、「テレフォンセックス」を「テレフォンセックス」として目指す、「セックス」とは違う「テレフォンセックス」を開始するには、一体どうすればいいのでしょうか。

ここで、「書き言葉」を「テレフォンセックス」に導入する、という方法が出てくるのではないか、と私には思います。

「セックスの再現」を目指すのではないという地点から出発することによって、「書き言葉」を導入した「テレフォンセックス」、「テレフォンセックス言文一致運動」と呼びうる運動が開始されるのではないか、と思われるのですが、それについて語り始めると、どうやら、まだまだ長くなりそうです。

ですから、今回はここまでにして、「テレフォンセックス言文一致運動」の可能性については、次回の更新で、改めて思考を巡らせながら詳しく書いていくことにします。