テレフォンセックスによって幽霊化する身体

テレフォンセックスによって幽霊化する身体

テレクラには幽霊が出る、そう、テレフォンセックス愛好家という幽霊が――。

こんなことを書き出すと、「テレフォンセックス中の快楽の高まりに脳や心臓が耐えきれず、ついにお亡くなりになられたテレフォンセックスプレイヤーが、テレクラの悪霊として出てくる」というような、テレクラにまつわる「本当にあった怖い話」などを期待される方もいるかもしれませんが、私は、何もそういう話がしたいのではありません。

テレフォンセックスについて考えていくと、テレフォンセックスをプレイする男女というものが、テレフォンセックスをプレイすることによって、テレフォンセックスという時空間のなかで「幽霊化」している、という事態に自然と気付かされることになります。

「テレクラに住み着いている幽霊」というような冒頭の言葉は、むしろ生きているテレフォンセックスプレイヤーのことを指している言葉なのであり、ここで見出されたのは「怪談」などではなくて、「テレフォンセックス」と「身体性」の抜き差しならない問題ということになります。

テレフォンセックスがプレイされるたびに、テレクラに「幽霊(幽霊的な身体、幽霊化した身体)」があらわれ、テレフォンセックスの完遂によって受話器が置かれたり回線が切られるたびに「幽霊」が消えていく。

そのような性質が、どうもテレクラで行うテレフォンセックスにまとわりついているように思われてなりません。

「幽霊化」とはどういうことかということに関して、テレフォンセックスではない分野を参考にしながら少しばかり例を出していきましょう。

たとえば、カメラによって撮影された映画俳優などは、彼らが「現実」で生きているか/死んでいるかという本人の状態とは関係なく、映画が上映されたり再生されるたびに、映画作品が生成する時空間のフレームのなかで「幽霊化」している、「幽霊的な身体」として立ち現れてくる、と言うことができます。

映画のなかで眼に見えるようになっている人間の身体というのは触れることもできませんし、被写体であった役者たちが年老いたり死んだりしたとしても、撮影された時空間を切り取られたまま老いることも若返ること死ぬこともできませんし、それでいながら、映画作品の終わりとともに幻のように消えてしまう身体であるわけです。

あるいは、演劇における舞台上と客席の間には、「生と死の境目」とも呼べるようなものがあると私は考えているのですが、役者が「自分自身の身体を使って、自分ではない存在を演じる」という行為を徹底していくなかで、演技を通して「死」の領域に一歩足を踏み入れてしまう、役者の身体が「幽霊化」してしまうというような劇的な瞬間を目撃することがあります。

テレフォンセックス中の身体の四角関係

このように、身体というものは、たえず、何かの条件によって「幽霊」になる機会を持っているのですし、「幽霊化」の道筋やその質感は一つだけではない、と思われるのですが、テレクラにおいては、テレフォンセックスをする男女が、テレフォンセックス特有の「幽霊化」のプロセスを経験しているのではないか、と私は考えています。

テレクラにおけるテレフォンセックスは、電話回線を通してはじめて交流を持つことになる男女が、それぞれ距離を隔てた別の空間に身をおきながら、「声」と「言葉」のみを通して快楽を高めあっていく、というプレイスタイルを基本としています。

テレフォンセックスをする男女というのは、テレフォンセックス中、自分自身の身体をみずからの手でまさぐることだけが許されていて、相手の身体をまさぐることはできません。

テレフォンセックスをする男女は、回線の向こう側にいる相手の存在については、「声」や「言葉」などを通して「おそらく実在する人間なのだろう」とひとまず信じてみることによって、「一応の了解」を得ることしかできません。

テレフォンセックス中は、男性の立場から見て身体が幽霊化している女性、女性の立場から見て身体が幽霊化している男性、という二体の幽霊的身体があり、一方では「幽霊」の声を聞きながらそれぞれの性器をまさぐる男女、という二体の生きた身体があります。

テレフォンセックス中、別の空間に身を置く回線の向こう側の相手のなかでは「声」と「言葉」のみの「幽霊的な身体」へと変化しているにも関わらず、「幽霊」との交流によって性的快楽を感受し、身体的なリアリティを強烈に獲得していくのは、ほかならない、自分自身の生きた身体であるわけです。

男女それぞれの幽霊的な身体と、生きた身体の合計四体の身体が入り組んでいる構造、オナニーをする幽霊の男女と、幽霊をズリネタにしてオナニーをする生きた男女というこの構造こそが、テレフォンセックスという性行為を成立させているのですし、また、テレフォンセックスの快楽を過激化させるものでもあるのです。