テレフォンセックス批評空間

テレフォンセックス批評空間

テレフォンセックス批評、テレフォンセックス批評家などというものが存在しない以上、テレフォンセックスというのは、他人の意見を気にせずに、個々人が思う存分テレフォンセックスを楽しむだけで充分なわけです。

テレフォンセックスには正解というものがありませんし、個々人の性癖や相手の女性の性質に大きく左右される性格を持っていますから、自分がやりたいと願う理想のプレイを目指して、その理想に適した方法で行うのみ、というわけですね。

テレフォンセックスについての「テクニック」などというものは、結局のところ個人差でしかないわけで、それを他人がどうこう言うことはできませんし、ましてや教えることなどは不可能です。

たとえば、「テレフォンセックスは『過剰さ』が命だ」という意見があるとします。

「エロいこと全部のせ」というしかないような過剰なテレフォンセックスを好む人間にとって、「過剰さ」はテレフォンセックスを判断する上での「基準」であるかもしれませんが、それはひとつの「基準」でしかなく、すべてのテレフォンセックスにあてはめることはできません。

設定の緻密さや丁寧さを要求される「イメージプレイ」の要素を含むテレフォンセックスのうえでは、ともすると、「過剰さ」というのは、「イメージプレイ」を含むテレフォンセックスの繊細さに破綻をもたらすような要素にもなりかねません。

批評的テレフォンセックスは可能か

他人のテレフォンセックスについては、自らの判断基準を押し付けるようにしてひとつの型にハメるようにして定義してしまうのは考えものです。

人のテレフォンセックスを笑うな、どころの話ではなく、人のテレフォンセックスを裁くなといったところでしょうか。

テレフォンセックスにもし批評というものがあるとすれば、それは、テレフォンセックスというプレイの持つ魅力を最大限に輝かせるようなテレフォンセックスを自ら成功させ、体験すること以外にはないでしょう。

そのようなテレフォンセックスに成功したとき、そのテレフォンセックスは、「セックス」という行為を根本的に問い直し、批評するような体験としても機能するのかもしれません。