テレフォンセックス、あまりに人間的な

人間の性行為に関する探求というのは驚きと尊敬に値するものですが、テレフォンセックスという性行為のあり方も、人間が発明した性の営みとして、やはり、ひとつの金字塔的な位置を与えられて然るべきものでしょう。

肉体的なセックスの最もシンプルな形は、繁殖のためにする交尾でしかないわけですし、やはり、それは人間以外のあらゆる生物(単細胞が分裂する連中はさておき)が行っているセックスであるわけです。

人間以外の生物には、そもそもテレフォンセックスという選択肢が発生しません。

オスの蝉がメスの蝉に向けて求愛行為をするために鳴く、というのは、少しばかり、テレクラでの即アポ交渉に似ているといえますが、やはり、彼らが止まっている樹木というのは、テレクラではないわけですし、オスがメスに向かって繁殖を求めて鳴く声は、決してテレフォンセックスではないのです。

繁殖を目的としない性行為を考案するところから人間主義的なセックスが始まったと考えると、アブノーマルな性行為を行う人間こそが、(人道主義的な意味ではなく、人間中心主義的な)ヒューマニズムを体現している存在なのだと言ってもよいかもしれません。

テレフォンセックスのヒューマニズム

電話越しに相互オナニーを行う、というテレフォンセックスは、そのようなヒューマニズムにあふれるセックスの冒険の、ひとつの到達点ということもできるかもしれません。

無限に引き伸ばされる前戯、声と言葉のみの耳への愛撫、挿入を回避しあうためにおこなうスリリングで性的な対話。

テレフォンセックスという営みは、繁殖のために行われる本能的な性行為から遠く離れた位置にある、極めて理性的なプレイなのです。

テレフォンセックスは近代社会が生み出したヒューマニズムのひとつの実践といえるでしょう。

テレフォンセックスというのは「人間」であることを前提にし、「人間」であることを徹底させた先に開発された高度な知的遊戯なのです。

テレフォンセックスを通して、人間であることの喜びを噛み締め、ヒューマニストになりましょう。